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東京の山・神奈川の山・関東周辺の山を夫婦で「気ままに山歩き」登山・ハイキング・トレッキングの山行記録です。

地形図の原点、相模野基線を歩く地形図の原点、相模野基線を歩く

地形図の原点・相模野基線
平成27年(2015)3月18日(水)

1910年(明治43)ヒルガード式4m基線尺3本繋ぎによる相模野基線測量風景
(国土地理院広報525号より)

現在、2万5千分の一地形図が国土の基本図です。それまでは登山などでも5万分の1地形図がよく使われていました。国土地理院の5万分1地形図は、1890年(明治23年)から整備が始まり、途中縮尺等の変更がありましたが、1925年(大正14年)に35年の歳月をかけて日本全国の地形図が完成しました。地形図を作成するためには日本全国に三角点網の形成が必要です。(現在ではGPS測量が主流となっています)相模野基線は日本の三角測量による三角点網の元となる最初の基線です。北端を高座郡下溝村(現・相模原市南区麻溝台四丁目)の一等三角点下溝村、南端を高座郡座間入谷村(現・座間市ひばりが丘一丁目)の一等三角点座間村とし、両地点を結んだ直線が相模野基線です。陸軍参謀本部測量課(後の陸軍陸地測量部、現在の国土交通省国土地理院)は、明治15年(1882年)9月から10月にかけて両地点間の測量を行い基線の全長を5209.9697メートルと算出しました。(誤差を少なくするため全国に15ヶ所の基線場が設けられ、相模野基線は最初の基線場となりました) この相模野基線を元に順次三角測量を行うことにより、全国の一等三角点網の基点となる丹沢山と千葉県鹿野山の間の距離が算出されました。

南林間駅~相模野基線南端点~中間点~北端点~小田急相模原駅のGPS軌跡

相模野基線の測量が始めて行われた明治15年(1882年)は銀座に街灯ができたり、上野動物園が開園した年でした。今日は日本の三角点網の起点となった相模野基線を、当時の先人の労苦をしのび南から北に歩いてみました。

小田急線南林間駅西口の駅前広場

相模大野駅から江ノ島線は東林間、中央林間、南林間と三つの林間という駅名が続きます。この林間という駅名の由来は、当時この地域一帯が雑木林であったことによります。昭和4年(1929)に小田急江ノ島線が開通するにあたって「林間都市計画」という開発計画があったそうです。しかし開発は思うようには進まず太平洋戦争の勃発により中止されました。そして林間の名前だけが三つの駅に残されました。
南林間駅西口を出ると西に道路が真っ直ぐ伸びています。この道を20分位歩きます。バスを利用する場合は「日産」「小田急相模原駅」行き、または「相武台前」「さがみ野駅」「相模大塚駅」行に乗って「十一条」で降ります。

内科医院の右側に相模野基線南端点が設置されています

「十一条」バス停からバスの進行方向に300mほど歩くとスーパーマーケットが出てきます。その手前に内科医院があり、その右手の敷地内に相模野基線南端点があります。南林間駅から歩いて20分位です。

相模野基線南端点の一等三角点座間村

相模野基線南端点 一等三角点座間村 (現地案内板より)
当基線場は、日本の近代測地測量を実施するにあたり、明治15年日本で最初に設置されたものです。南、北両端点間の長さ、5209.9697mをもとにして我が国の地図は作られました。最近ではこの長さの変化を精密な繰り返し測量で見つけて、地震予知等に利用している大切な測量基準点です。建設省国土地理院
座間市指定重要文化財 相模野基線南端点(一等三角点「座間村」)
指定年月日 平成23年10月25日 指定(指定番号:史23-1)(座間市ひばりが丘一丁目5543番地内)
※「基線中間点」(指定番号:史23-2)も合わせて(座間市相模が丘二丁目17番地先 所在)
この相模野基線南端点は(一等三角点「座間村」)は明治15年(1882)に当時の陸軍省参謀本部測量課(後に陸地測量部、現在の国土地理院)が全国の三角測量を実施するために設置したもので、日本の測量や地図を作る上で重要な役割を果たした、最古の一等三角点の一つです。相模野基線には、この北西方向約5.2kmに相模野基線北端点(一等三角点「下溝村」相模原市南区麻溝台4丁目2099-2 相模原市指定文化財:史跡)があります。
当時の測量は、三角測量という角度を測るものでした。角度を測るだけでは三角形の大きさが決まりません。そのため一辺の長さを正確に測定し三角形の他の辺の長さは計算しました。「座間村」と「下溝村」はこの一辺の端点であり、この辺長測量のことを基線測量といいました。相模野基線を三角形の一辺として、一等三角点「長津田村」(現横浜市緑区長津田)及び一等三角点「鳶尾山」(現厚木市)を頂点とする三角形が形成され、さらに日本各地の一等三角点へつながっています。全国の一等三角点網は、大正2年(1913)に完了し、二等・三等三角点の整備も進められ、大正13年(1924)には全国を網羅する縮尺5万分の1地形図がほぼ完成しました。
また、相模野基線上の座間市相模が丘二丁目17番地先の道路マンホール下には、明治35年(1902)、当時の測地学委員会によって設けられた「基線中間点」(四等三角点)もあり、市指定重要文化財(史跡)となっています。
相模野基線では、測量技術の進歩とともに数回にわたり測量が行われているほか、大正12年(1923)の大正関東地震や平成23年(2011)の東北地方太平洋沖地震の地殻変動による地形変化の様子を知るための観測も行われ、現在も重要な役割を果たしています。
なお、相模野基線は、平成22年(2010)12月に公益社団法人土木学会により選奨土木遺産として近代の重要な土木遺産としても認定されました。この相模野基線南端点は民有地にあり、所有者の長年のご理解により大切に保存されています。今後も、日本の測量を支える三角点を大切にしましょう。平成25年 座間市教育委員会


元の道路に戻り更に幾つかの信号を越えて進みます。前方に日産自動車の工場が見え、最初のセブンイレブンを過ぎて二つ目のセブンイレブンが左手にある交差点が出てきます。この信号を右折します。右には工場や倉庫等、左には流通センターなどの大きな建物を見ながら進むと、やがてT字路になり突き当ります。前面の道路は県道50号座間大和線(通称:座間街道)です。前方に「くら寿司」がありこの左側に「相模が丘仲よし小道」のスタート地点があります。


相模が丘仲よし小道(さくら百華の道)の南側スタート地点

相模が丘仲よし小道は元々は畑地灌漑用水路で畑作農業の発展のために作られた農業用水路です。しかし昭和30年代に入り、都市化の波にのまれてこの用水路はほとんど使われなくなりました。昭和31年(1956)、桑畑や芋畑が続いている頃、この用水路沿いに桜が植えられました。この桜はやがて畑灌桜(はたかんざくら)と呼ばれ桜の名所として、座間八景の一つになりました。しかし桜が植えられてから50年以上が経ち樹の勢いも衰えきて、中には台風や強風で倒れる樹もでてきました。そこで座間市では地元と協力して「相模が丘仲よし小道再生整備工事」を進めることになりました。平成23年より4年がかりで、古木のソメイヨシノを伐採して整備が行われ、平成27年(2015)3月15日に全長1.6kmの緑道が完成しました。
相模が丘仲よし小道 さくら百華の道 歴史
終戦(昭和20年 1945)後の食糧難は深刻で、食糧増産は国の重要施策だった。昭和23年(1948)、畑地灌漑事業(畑に水路を堀り水を流す。以下、畑灌)が行われた。桜「ソメイヨシノ」は昭和38年(1963)頃、畑灌の土手に自治会、消防団、婦人会の手で植樹した。桜の管理は個人奉仕活動から、相模が丘さくら保存会(昭和49年・1974)が受け継いだ。毎年4月、さくら祭が実施され市外からも大勢の花見客でにぎわう桜の名所となった。
残念なことに、桜は老木となり、倒木の危険性が増してきたため、伐採することになった。そこで平成19年(2007)住民アンケート調査を実施したところ、桜並木の存続を願うという声が圧倒的だった。新たに事業を興すためさくら保存会は発展的解消をし、平成20年(2008)「新生さくら道」の会を発足させた。
緑の少ない相模が丘に、安全安心な、緑豊かな緑道公園、つまり桜を中心とした潤いのある緑の空間を創るという新しい考え方で、全長1.6kmの「仲よし小道」に約64品種・220本の桜を植え、ほかにも多様な花木の植栽等、誰もが楽しめて、みんなが憩える緑道、さくら百華の道を創出した。座間市と「新生さくら道」の会の協働まちづくり事業により、平成23年(2011)に着工された。この緑道は相模が丘始め、市民の貴重な財産です。私たちはこの大切な道をいつまでも美しく、心癒される空間として守り育てていきましょう。
平成27年(2015)3月 座間市 「新生さくら道」の会 NPO法人さくら百華の道(現地案内板より)

スタート地点から100mの所(前方の桜の木の所)

相模が丘仲よし小道スタート地点から100mの範囲は一部元の状態が残されています。また元の桜の木も4本(染井吉野2本、大島桜、開山)だけ残されています。

相模が丘仲よし小道の中ほどにはトイレも設置されています

近隣からも来る人が多いためトイレが設置されました。遊歩道は往復3km以上もあるので助かります。


相模野基線中間点の四等三角点はこのマンホールの下に埋められています

この案内板の北側約20mの座間市相模が丘二丁目17番地先の市道相模が丘46号線のマンホール下には、明治35年(1902)、当時の測地学委員会によって、相模野基線上のほぼ中間に設けられた「基線中間点」(四等三角点)があり、市指定重要文化財(平成23年10月25日指定:史跡)となっています。(案内板より抜粋)
相模野基線中間点は、この他にも第一中間点と第二中間点がありましたが現存していません。その目的とするところは基線を分割することにより、より精度を高めた測量を行うことにあったようです。

小田急線の線路手前

相模野基線中間点を見て相模が丘仲よし小道に戻り更に進むと小田急線の線路が出てきて突き当りになります。前方の相模が丘仲よし小道へ進むには迂回するしかありません。線路手前の道を左折して次の道を右折します。踏切を渡って進むと行幸道路(町田厚木線)が出てきます。ここを右折すると迂回してきた相模が丘仲よし小道が出てきます。行幸道路を渡ります。信号がないので注意してください。
現在の米軍座間キャンプには、戦前は旧陸軍士官学校がありました。行幸道路は昭和天皇が陸軍士官学校に訪問されるために作られた道です。そのため行幸道路(ぎょうこうどうろ)の名があります。

座間市相模が丘(手前)と相模原市相模台(上方)の境界

ここが相模が丘仲よし小道の北側スタート地点です。上方は相模原市になり「さがみの仲よし小道」と名前が変わります。


相模原市の「さがみの仲よし小道」

前方の斜めに横切る道路を右折します

さがみの仲よし小道から前方に斜めに横切る道が出てきます。ここを右折します。突き当ったら左折し、交番のある次の道を右折します。団地の間を通って直進し突き当りを左折し次の道を右折します。そのまま道なりに行くとバス通りに合流します。

相模野基線北端点 一等三角点下溝村

麻溝台中学校入口バス停がありその先に麻溝台中入口の信号があります。この信号を越えて一つ先の道を右折します。さとう整形外科の裏手に相模野基線北端点があります。麻溝台中学校入口バス停からは平日は1時間に3本程度、土、日曜日(祭日)は2本程度小田急相模原駅へのバスが出ています。それにしても、相模野基線の両端点とも、お医者さんの敷地内だったり、隣接していたりは偶然なのでしょうね。
相模野基線北端点 一等三角点下溝村 (現地案内板より)
当基線場は、日本の近代測地測量を実施するにあたり、明治15年日本で最初に設置されたものです。南、北両端点間の長さ、5209.9697mをもとにして我が国の地図は作られました。最近ではこの長さの変化を精密な繰り返し測量で見つけて、地震予知等に利用している大切な測量基準点です。建設省国土地理院

横浜水道みち

水道みち トロッコの歴史(現地案内板より)
この水道みちは、津久井郡三井村(現:相模原市津久井町)から横浜村の野毛山浄水場(横浜市西区)まで約44kmを、1887年(明治20年)わが国最初の近代水道として創設されました。運搬手段のなかった当時、鉄管や資機材の運搬用としてレールを敷き、トロッコを使用し水道管を敷設しました。
横浜市民への給水の一歩と近代消防の一歩を共に歩んだ道です。

現地案内板に掲載されている相模原市鶴間村付近の写真

相模野基線の測量が行われたころはこのような原野だったのですね。高い木がなく平坦で見通しがよいため、この相模野台地が選ばれたのだと思います。また現在よりも空気が澄んでいて連光寺村(東京都多摩市連光寺)や浅間山(神奈川県大磯町)からも、丹沢山(1567m)や千葉県鹿野山(352m)が見通せたのだと思います。しかし40km以上も離れた観測点をどうやって測量することができたのでしょうか?それは三角点標石の付近に高い櫓を組み、その上に回照器(ヘリオトロープ)という太陽光を反射させる鏡を設置して光を送ります。この光を受けて望遠鏡のついた測量器具で角度の測量をします。太陽光は時々刻々と変化するので専門の測夫が必要でした。この光をたよりに測量官が観測をすることになります。更にトランシーバー等のない時代ですから、作業の開始や終了を告げる通信手段として の役割もありました。

小田急相模原駅北口付近の風景

相模野基線北端点を見てから、来た道を戻りカーブの手前から左に水道みちに入ります。500m位歩くとバス通りに出るので右折します。国立相模原病院の前を左折します。ここからは長い商店街となり、真っ直ぐなサウザンロード商店街が小田急相模原駅まで続いています。信号を渡って左へ行くとバス乗り場と駅への階段があります。

歩行2時間33分 距離11.2km 高低差ほぼ平坦(累積の登り40.4m 下り-29.0m)
小田急線南林間駅9:12→9:34相模野基線南端点(座間市ひばりが丘)→10:00相模が丘仲よし小道南側スタート地点→10:16相模野基線中間点(座間市相模が丘)→11:02相模野基線北端点(相模原市麻溝台)→11:45小田急相模原駅


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