本文へスキップ

東京の山・神奈川の山・関東周辺の山を夫婦で「気ままに山歩き」登山・ハイキング・トレッキングの山行記録です。

季節の風景・植物・生物季節の風景・植物・生物

季節の風景、季節の植物、季節の生物

クサギ(臭木)の実
ニホンジカ(日本鹿
カラスウリ(烏瓜)
ミヤマハンショウヅル(深山半鐘蔓)
ホシガラス(星鴉)
チングルマの綿毛
ヤマキマダラヒカゲ(山黄斑日陰)
ウリカエデ(瓜楓)の翼果
シダ(羊歯)の芽生え
オオイヌノフグリの人影

クサギ(臭木)の実

クサギの実(滝子山浜立尾根にて)

名はクサギでも花には芳香があり果実は美しい!
街で見かける花にボタンクサギという花がある。夏から秋にかけて咲くアジサイに似たてまり風の花である。ボタンクサギは1m~1.5mほどのシソ科(クマツヅラ科)クサギ属の落葉小低木である。近寄ってよく見るとアジサイの花とは違うことに気が付く。ピンク色の小さな花が多数集まり、びっしりと手毬状に咲く。花には微かな芳香があるが、葉を揉むと微かな匂いを感じる。といっても異臭と言うほどではない。この木と親戚の木が上の写真のクサギである。ではボタンクサギの実も上の写真のようになるかというと、そうはならない。赤いガク片と長い雌しべが残り、これも花のように見えるが青い実はならない。

クサギは高さが3m程度になるシソ科クサギ属の落葉小高木である。花期は7~8月頃ジャスミンに似た芳香のある白い花を咲かせる。クサギの葉は大きくて、揉むと臭気がある事から臭木と呼ばれている。といってもそばに寄っただけでは臭いということはない。新芽や若葉はおひたしや和え物、天ぷらなどにして食用にでき、葉や根は生薬としても利用されている。花のあとの10~11月頃、ガクは濃紅色となって星状に開き中央に光沢のある藍色の果実ができる(写真)。熟した藍色の果実は草木染では数が少ない青色の染料として古くから使われている。また赤いガクからは鉄媒染で渋い灰色の染め上がりを得ることができるという。クサギは新しく開けた土地や裸地、伐採跡地などに初めに芽吹いて大きくなる先駆植物(パイオニアプランツ)の一つである。クサギの果実は鳥に摂食されて種子分散が起きると考えられている。
ボタンクサギ 世話入らずの庭 クサギ(臭木)

二ホンジカ(日本鹿)

牡のニホンジカ(日本鹿)

草花を食い尽くすニホンジカ(日本鹿)
山地や山麓で見かけるいわゆる普通のシカ(分類上はニホンジカの中のホンシュウジカ)のことである。
昔、東京都内に住んでいた頃、小田急線の終電に乗り渋沢駅で降りた。深夜の街を大倉バス停まで歩きそこから丹沢・大倉尾根を登るのであった。 確かその頃のヘッドライトは重い電池ケースを腰に付けたりして登ったのだと思う。もちろん予備の豆電球や懐中電灯なども用意して、暗闇の中をただ一人大倉尾根の長い山道を登って行くのである。特に怖い思いをしたわけでもないが、印象に残っているのがシカの鳴き声である。登りながら遠くからキーとかフィーとか、何故か女性の叫び声にも似たシカの鋭い鳴き声が時々聞こえる。そして夜明け前に塔ノ岳に到着し、それからご来光を仰ぐのが常であった。

二ホンジカはニホンと名が付くが日本の固有種ではない。朝鮮半島や台湾、極東ロシア、中国東北部からベトナムなどに至る東アジアに広く分布している。生息環境も落葉樹林や寒帯草原、湿地帯から熱帯林など、多様な環境に適応しており、標高1800m程度の高地にも生息している。シカの体長は1.3m~1.6m位。肩の高さは80~90cm位。体重は40~90kg位。オスの方が大きくオスにのみに4つに枝分かれする角があり毎年生え変わる。この角は毎年3月頃に抜け落ち、4~5月にかけて袋角が生えた後、9月頃には立派な角に成長する。 ニホンジカは昼夜共活動するが、どちらかと言えば夜行性である。日中は森林内で休んでいて、主に早朝や夕方に活動する。普段は雌雄別々の群れを作るが、雌の群れにはその子どもたちが含まれている。雄は単独で生活しているものも見られる。草食性で草や木の葉、笹の葉、木の実、草の実などを食べる。餌の乏しくなる冬季には樹皮や落ち葉、菌類なども食べる。

全国的にシカによる被害が増えている。シカの食害は斜面の崩壊など災害の原因になるだけでない。特に登山者にとっては腹立たしいことが多い。例えば尾瀬のニッコウキスゲ、櫛形山のアヤメ、甘利山や三窪高原のレンゲツツジ、南アルプスのお花畑など、その例は枚挙にいとまがない。これらの花はほとんど全滅状態である。シカの食害がなければ山の草花はもっと豊富で、登山は更に楽しいものになるに違いない。だからと言ってシカがいないほうが良いということではない。今こそ行政はシカと植物と人間の共存に、今まで以上に本腰を入れて取り組むべき時期だと思う。

ニホンジカは北海道や沖縄を除き全国で300万頭程度生息していると推計されている。 そのうち丹沢山地では4000頭程度と推計されている。なぜシカは増えたのか?明治から昭和初期にかけ、乱獲で生息数が激減したことから、戦後は一貫して保護政策がとられた。戦後の造林で多くの木が伐採され、餌となる下草が増えた。さらに、近年は農山村が過疎化し、高齢化で耕作放棄地が多くなりシカの生息域が広がる傾向にある。温暖化により積雪が減り子ジカが冬に生き延びやすくなった。そして近年はハンターが減少しており、しかも高齢化で60歳以上が多数を占めておりその事態は深刻です。 杉の植林による現在の杉花粉の問題にも通じているところがあると思う。要は先見性をもってことに当たることが重要なのだ。

カラスウリ(烏瓜)

カラスウリの花

夏の夜にレースをまとうカラスウリ
8月のある夜、いつものように緑道をウォーキングしていました。歩いていると連れが「この花は何?」と聞いてきます。そこにはもやっとした白い花が咲いていました。
緑道には10mおき位にLEDの街灯が設置されています。カラスウリはその街灯に照らされて花が咲いているのが何とか分かるような状態でした。とっさに「カラスウリだよ」と答えました。 実はこの緑道は数年前に全面改修されていました。改修前のカラスウリが咲いているところは小さな藪のような状態でした。それが改修後にきれいになりました。でもカラスウリは隣地にもあったため生き延びたのです。

そして次の日の朝、7時半ごろカメラを持ってウォーキングに行きます。目当てのカラスウリの花は既に閉じていました。その日の夕方ウォーキング前にカラスウリを撮影に行きます。6時半ごろの薄暮の時刻ではまだ花は開いていませんでした。 自宅へ引き返して7時半ごろいつものようにウォ-キングに行きます。カラスウリはレース状の繊維(花びらの一部)を広げて咲いていました。ストロボモードで何枚か撮影します。念のためスマホでも撮影します。自宅に戻ってパソコンに取り込んでみるとストロボの光が強すぎて花に陰影が付いていません。次の日の夜今度はLEDの懐中電灯を持っていきます。連れに懐中電灯を持って貰いカラスウリを撮影します。パソコンに取り込んでみると手ぶれですべてボケていました。それならばと朝一番なら咲いているかも知れないと思い5時ごろ起きて撮影に行きます。明るくなり始めたばかりですが既にカラスウリは閉じていました。3日目の夜、今度はほとんど使ったことがない三脚を持って撮影に行きます。高さが1m位の三脚だったので花には届きません。三脚での撮影を断念し昔使った1脚があることを思い出して自宅へ戻ります。1脚で撮影しますがシャッター速度が遅いのでどうしてもぶれてしまいます。しかし20枚くらい写した中で1枚だけ何とか見れるのがありました。 それが上の写真です。

カラスウリは里山や林の縁などに生育する蔓性の多年草です。市街地のちょっとした空き地など、人の生活圏内でも比較的多く見られます。 また10月から11月にかけての登山口や下山口でも良く見かけます。果実は直径5〜7cmの卵型や楕円形状です。熟すとオレンジ色や朱色になり、冬には枯れたつるにぶらさがった姿が目立ちます。 カラスウリの花は7月から9月にかけて日が暮れてから咲きます。花は縁が糸状に裂けてレースのように見える白い5弁花で、夜明け前にはしぼんでしまいます(その日の天候によっても異なりレースは閉じても花は開いている場合もある)。多分日が暮れてから10~20分くらいで開くのだと思います。そのレースのような花弁の先を投網を広げるように四方に開きます。なぜ夜に咲くかというと受粉のため夜行性の昆虫を引き寄せるためであると考えられています。花の奥の蜜を吸えるのはストローのような長い口吻を持ったスズメガ(翅が5~10cm以上の大型の蛾)の仲間だけです。他の虫が止まれないように花びらがレース状になったという説があります。空中でホバリングして静止する能力のあるスズメガだけに蜜を吸えるようにしたのではないかというのです。 カラスウリは雌雄異株なのです。おしべのある雄花とめしべのある雌花が別々の株に咲くのです。つまり、雄花と雌花間に花粉を媒介するものがいなければ実を結ぶことができません。そして雌株だけに実が付きます。その媒介者がスズメガなのです。一日花と言われていますが、今回私が撮影した限りでは少なくとも数日間は咲くようです。またレースが開くのを見るには日暮れから日没後の数十分です。そして夜半過ぎまではレースが開いた花を見ることが出来るでしょう。

カラスウリの果実の中には数十個の黒い種が入っています。この種子はよく「大黒様の顔」「打ち出の小槌」「結び文」「カマキリの頭」「クロワッサン」などに例えられます。 黒い種は乾燥すると薄茶色(黄金色)に変わります。種を財布に入れてお金が増えるようにと縁起を担ぐ人もいるようです。
カラスウリをカラスは食べません。他の鳥も食べないようです。カラスウリの名前は実の色が唐朱(中国から伝わった朱墨)に似ていることからカラシュウリ(唐朱瓜)となりそれがカラスウリ(烏瓜)に転じたようです。早朝のカラスウリ 昼間のカラスウリ カラスウリとエビガラスズメ カラスウリの種子

ミヤマハンショウヅル(深山半鐘蔓)

ミヤマハンショウヅルの羽毛状の果実

妖精のように風に舞って
富士山の静岡県側(南側)に御殿庭(ごてんにわ)という所があります。この地名は「御殿にある庭のように整った木々が多い」ことによります。ちなみにJR御殿場線の御殿場駅がある御殿場の地名は徳川家康が使う御殿の造営が行われたことによります。8月初めの富士山御殿庭でのことです。御殿庭上は標高2,170m、展望が開け富士山山頂とその手前に宝永山や第三火口が見えています。この辺りは樹高3~4m位の低いカラマツ林になっています。その一つの木にチングルマの綿毛のようなものが付いていました。これがミヤマハンショウヅル(深山半鐘蔓)の羽毛状の種子でした。ミヤマハンショウヅルは山地に咲くハンショウヅルの高山型です。御殿庭から帰った2~3日後、近くの民家の庭先に似たような羽毛状の種子を見かけました。「何の種子だろう?」とよくよく考えてみたら、ここにクレマチスが咲いていたのを思い出しました。ミヤマハンショウヅルも園芸種のクレマチスやカザグルマやテッセンも、皆同じキンポウゲ科センニンソウ属で似たような羽毛状の果実(種子)を付けるのです。ミヤマハンショウヅルは北海道から関東、中部地方の亜高山帯から高山帯に生える高山植物です。蔓の長さは30cm~2m位になります。花期は6月~8月ごろ。枝先に3cmほどの半鐘(櫓に付けた火災を知らせる鐘)形で紅紫色の花を咲かせます。花の後は羽毛状の果実となります。種子の旅立ちの日。数十本のふんわりした羽毛状の先にはそれぞれ薄い種子が付いています。種子は羽毛状の繊維を広げて、妖精のように風に舞って飛んでいきます。
ミヤマハンショウヅル
ミヤマハンショウヅルの種

ホシガラス(星鴉)

ハイマツの種をくわえたホシガラス

森林を再生するホシガラスの習性
8月の北アルプス唐松岳からの縦走路で大黒岳や白岳など幾つかのピークを越えて五龍山荘に向かう。そして大きなザックを背負った大学生のパーティーと抜きつ抜かれつの縦走路となった。 途中、前方のハイマツ帯のなかで盛んにハイマツをついばんでいる鳥がいた。それがホシガラスだった。ホシガラスとは、なんとロマンチックな名前だろうか。ホシガラスは世界中の冷帯に広く分布するカラス科の鳥です。日本では亜高山帯(1700~2500m)や高山帯(2500m以上)に生息し、冬場はそれより低いところにも降りてきます。全長35cm前後でちょうど鳩くらいの大きさです。ホシガラスはカケスに似たしわがれた声でガァー ガァーと鳴きます。体に比べてくちばしや頭部が大きく、全身が黒茶色で白い斑点が沢山あります。この白い斑点を星空に見立ててホシガラスの名があります。ホシガラスはなんでも食べる雑食性で昆虫やハイマツなどの木の実も好んで食べます。また冬に備えて土の中や木の洞などに木の実を貯めておく習性をもっています。不思議なことにホシガラスに埋められた土中の種は、やがて芽を出して大きな木に育ち森の再生につながります。ハイマツ帯でも同様にホシガラスの、このような貯食の習性がハイマツの群落再生に一役買っているのです。

チングルマの綿毛

季節の花 チングルマ(稚児車)の綿毛

チングルマ(稚児車)の綿毛
チングルマは日本アルプスや八ヶ岳、尾瀬など大抵の高山帯で見ることができます。 花期は6月から8月ごろ高山の雪渓周辺の草地や砂礫地です。雪解けとともに芽出しが始まり、夏が近づくころ梅の花に似た白い花をつけます。花弁は5枚で中央部は黄色で多数の雄しべと雌しべがあります。花が終わると雄しべが伸びて綿毛状になります。この綿毛が子供の遊ぶ「かざぐるま」に似ているので稚児車と名付けられました。そして、それが転じてチングルマになったと言われています。綿毛状の種はやがて風に乗って飛んでいきます。秋になると葉は紅葉しやがて落葉します。高さが10cmくらいしかないチングルマは草ではなく落葉小低木と言われる樹木です。このため草のように枯れることがなく長い冬を雪の中で過ごして春を待ちます。樹木なので年輪もありマッチの軸くらいの太さになるのに10年かかると言われています。白い花のチングルマの大群落は見事なものですが、綿毛が風にそよぐ様もなかなかいいものです。写真は7月下旬、北アルプス・唐松岳(2,696m)の八方尾根丸山ケルン付近から白馬鑓ヶ岳方面を見たものです。

ヤマキマダラヒカゲ(山黄斑日陰)

季節の昆虫 ヤマキマダラヒカゲ(山黄斑日陰)

ヤマキマダラヒカゲはちょっと変わった蝶です
大抵の蝶は逃げていくのにこの蝶は寄ってくるのです。人を恐れない蝶でもあります。西丹沢の大室山に6月中旬ごろ登った時でした。犬越路(いぬこえじ)を過ぎて、まだまだらに残雪のある富士山を見ながら登っていきます。汗をかきながらひと登りして木陰のところでひと息入れていると蝶々が飛んできました。
飛び方が変わっていてピョンピョンと跳ねるようにして飛びます。3匹ほどが私の周りを飛び回っています。そのうちの一匹が私の手に止まりました。直ぐに口吻を伸ばして汗を吸っています。私はじっと吸われるままにしていました。他の2匹も代わる代わる腕や手に止まって汗を吸っています。そして互いに飛び回りながら、おしっこを飛ばしたり小さな音を立てたりして興奮しているようなのです。蝶が音を立てるなど聞いたことがないですが、何か私にはそのように聞こえました。流石にうるさくなって、というよりなんとなく気味が悪くなってこの場所を離れました。よく外国の記録映画などでたくさんの蝶が地面に降りてミネラル分を吸っているの見たことがあります。それと同じでこの蝶もミネラルが欲しくて人の汗を吸うんでしょうね。それにしても変わった蝶がいるもんです。蝶のおしっこ

ウリカエデ(瓜楓)の翼果


季節の植物6月 ウリカエデ(瓜楓)の翼果

滋賀県長浜市に長浜名物焼鯖そうめんというのがある
そこの店の名前が翼果楼というのである。(「よくかろう」を「よかろう」と洒落ています)その店の宣伝文句に「翼果は二つのつばさを持ったモミジの種。北国街道にクルリクルリと舞い降りて、翼果楼が生まれました」とあります。私は鯖もそうめんも好きなので一度焼鯖そうめんなるものを食してみたいと思う。
ところで翼果(よくか)とはどんなものなのだろう。翼果とは翼の形をした種のことです。写真は6月上旬の丹沢・畦ヶ丸(1293m)で撮影したウリカエデの翼果です。ちなみにカエデはカエルデ(蛙手)からきたといわれています。そういえばカエデの葉はカエルの手の形に似ていますね。ところがウリカエデの葉はカエデとは思えないような卵型の葉です。ただ木が若いうちは三裂や五裂の葉もあるようです。ウリカエデの名前の由来は樹皮の色や模様がウリに似ているからです。
カエデは翼果を付けますが、この木もきれいなピンク色の翼果を付けています。秋になると葉はオレンジ色や黄色に色づき翼果は熟して落下します。風がない時は螺旋を描くようにして落ちていきます。風が有るときは風に乗って遠くに運ばれます。タンポポなどの種もそうですが、植物の生存本能なのでしょうね。種は風に乗ったり動物に食べられたりして、出来るだけ遠くに旅をしたいんですね。

シダ(羊歯)の芽生え

季節の植物5月 シダ(羊歯)の芽生

シダ(羊歯)類の芽生えです
西丹沢の盟主檜洞丸(1601m)で5月上旬に撮影しました。このシダを人に見立てると仲のよいカップルに見えます。互いに寄り添って抱き合っている様にも見えてきます。そこでこのシダの写真に「仲良し」という名を付けました。檜洞丸と言えば標高が1601mの奥深い山です。どっしりとした山容とブナ林に覆われて苔の多い山でもあります。純白のシロヤシオや色鮮やかなトウゴクミツバツツジが咲くにはまだ早いが、登山道の稜線には小ぶりなマメザクラ(豆桜。別名:フジザクラ)が咲き始めています。
桜前線が北上して北海道は丁度このころ桜の季節を迎えます。この時期檜洞丸の標高1300~1600mあたりの稜線はマメザクラが咲いています。ちょうど北海道の気候とほぼ同じくらいなのではと想像できます。そんなマメザクラの季節に檜洞丸に登りました。麓はもう桜も終わり春たけなわです。しかし稜線はこれからが春を迎えるところでした。湿った苔の多い斜面に生えたシダの芽生えです。

オオイヌノフグリの人影

季節の花2月 オオイヌノフグリの人影

オオイヌノフグリに宿る人影
神奈川県座間市の県立座間谷戸山(やとやま)公園は小田急線座間駅や座間市役所にほど近いところにあります。この公園にある伝説の丘は本堂山とも呼ばれています。かつて星谷寺(しょうこくじ:星の谷観音、坂東33箇所第8番札所)の本堂があったという伝説があるためにこう呼ばれているのです。立春を過ぎた早春のある日、撮影しているときはただ花を写すことだけに集中していました。あとで撮影した写真をよくよく見てみると、オオイヌノフグリのめしべとおしべの影の形が人の姿のような不思議な写真です。なにやら乳飲み子を抱いた婦人と向かいあって男性が手をついて何かを報告しているように見られます。このあたりに住んでいた昔の人の情念が、オオイヌノフグリに乗り移ったのでしょうか? オオイヌノフグリには真ん中にめしべがあり両側に2本のおしべがあります。上のおしべが婦人の姿に、めしべが乳飲み子に、下のおしべの影が男性の姿に見えます。それにしても何度見ても不思議な写真です。座間谷戸山公園は縄文時代から人々の暮らしが営まれていた土地だそうです。今でも里山の姿を残している公園です。
神奈川県立座間谷戸山公園公式ホームページ
まめこぞうの旅 第七話 谷戸山
座間のむかし話(観音様と大蛇)

     
 

バナースペース

https://www.ov2.yamaaruki.biz/
スマートフォン対応