本文へスキップ

東京の山・神奈川の山・関東周辺の山を夫婦で「気ままに山歩き」登山・ハイキング・トレッキングの山行記録です。

能岳~八重山~秋葉山能岳~八重山~秋葉山

中央沿線・能岳(543m)~八重山~秋葉山
平成28年(2016)12月6日(火)2名

     

登り始め逆光の山道

向風~能岳~八重山~秋葉山~上野原小学校~上野原駅のGPS軌跡

能岳への登山口はいくつかあるが、今回は一番奥の向風からの登山口から登ることにした。そこで上野原発8時41分発の向風行のバスに乘る。平日とあって乗客は10数名で、大多数は上野原市街地で降りた。終点の向風で降りたのは我々と女性の登山者2名だけだった。

能岳への登山口

バスから降りた道路を北方向に真っすぐ進む。500mほど歩くと橋があり渡る。更に100mほど進むと右に登るコンクリートの急な斜面が出てくる。八重山ハイキングコースの標識が立っている。女性の登山者2名はここを通りすぎて先に行ってしまった。どこへいくのか?聖武連山か?それともコヤシロ山か?

木の葉の乱舞

登り口の急なコンクリート斜面を登って行くと次第に緩やかになり山道らしくなる。10数分登ると針葉樹が切れて広葉樹が出てきた。何本かの木が伐採されて開けたようなところにでた。風の通り道だとみえて風が吹き上げてくる。そして上方の森から無数の木の葉が乱舞しながら落ちてくる。風が吹くたびに落ち葉の乱舞が繰り返される。しばらくの間佇んで何度見ても飽きない光景であった。

能岳山頂(542.7m)と三角点

木の葉の乱舞を見て、ここからも緩やかな山腹を巻いて登って行く。やがて方向が変わり尾根を登って行くようになる。上野原カントリークラブのゴルフコースが近接していると見えて冬枯れの芝生が垣間見える。能岳直下で右からの新井方面からの道と合流する。ここから能岳山頂までは僅かだが胸を突くような急登となる。能岳山頂には山名標識と三角点とテーブル席があった。山頂は木立がまばらに茂り展望は良くない。小休止のあと山頂を後にすると入れ違いに老夫婦が登ってきた。


能岳から八重山へ向かう途中の石仏

能岳の南斜面は陽だまりのようになっていて風がなく暖かい。下りきったところに古からのものだろう、静かに手を合わせる石仏の姿があった。ここから更にひと登りすると八重山の山頂に達する。八重山山頂には休憩舎(東屋)が造られていた。木の葉の落ちた灌木の間からは高尾・陣馬の盟主権現山が大きく見えた。

八重山山頂(休憩舎)からの下りを振り返る

八重山山頂からは八重山展望台を目指して下る。木階段が付いているが急な下りだ。紅葉はほとんど終わりだがそれでも幾分目を和ませてくれる。

八重山山頂(休憩舎)からの下り

急斜面を下って行くと右手に八重山展望台が見えてくる。鞍部に達して八重山展望台への登りになる。登りきると平坦な道が伸びている。


八重山展望台付近より八重山山頂を見る

水越八重さんの心が息づく八重山(石碑より)
この八重山は1929年(昭和4年)に地元の水越八重さんが「お世話になったふるさとや子どもたちのために役立てて欲しい」との思いから三十ヘクタールの山林を寄付されたことにちなんで「八重山」と名づけられました。今では八重山は上野原小学校の学校林として、また市民に愛される山として、八重さんの想いを後世につたえ続けています。
自分で見つける森 八重山 五感の森(上野原市観光パンフレットより)
『八重山』は、昭和の初めに、上野原で生まれ育った水越八重さんが、上野原のまちと上野原小学校に、お世話になった恩返しにと寄付して下さり、それにちなんで命名されました。現在、八重山には、上野原小学校の学校林があり、小学生の学習の場として使われるとともに、市民のいこいの場として利用されています。参考:
発見うえのはら 八重山

八重山展望台のそばにある鐘

八重山展望台に近づくと見晴が良くなり歩いてきた広葉樹に覆われた能岳が見えてくる。そして八重山の鐘や展望台も近づいてきた。鐘に下がった紐を揺らして鐘を鳴らしてみる。甲高い鐘の音があたりに響く。

八重山展望台

八重山展望台からは360度と言ってもいいほどの見晴が広がる。東の方向には緩やかな山容の陣馬山が見える。西方向には扇山から権現山にかけての稜線が見える。扇山の左には富士山が見えるはずだが今日はほとんどが雲に覆われてわずかに一部が見えるだけだ。その代り三ツ峠山がよく見えていた。富士山の左側には幾分かすんでいるが大室山から大山にかけての丹沢の山波も確認できた。


八重山展望台からの陣馬山(855m)

八重山展望台からの扇山(1138m 左)と権現山(1312m 中央右)

八重山展望台からの丹沢。蛭が岳(中央左)檜洞丸(中央)大室山(中央右)

八重山展望台で簡単な昼食を済ませてから下りにかかる。下りはじめると中高年の5人連れの男女とすれ違う。下りは緩やかで山腹を大きくジグザグを描くようにして下って行く。沢沿いの道をしばらく歩き、上野原中学校前の駐車場に到着する。駐車場にはトイレも設置されていて水道も飲み水として使える。このトイレは上野原中学校の生徒たちが掃除をしているようだ。

上野原中学校前付近から富士山(ズームで撮影)

上野原中学校前の車道を右方向に歩いて行くと八重山展望台では見えなかった富士山が見えてきた。先ほどすれ違った中高年グループは八重山展望台でこの富士山を見ているんだろうな。ラッキー!

秋葉山・根本山への登り口

上野原中学校から5~6分ほど歩くと左手に秋葉山、根本山の登山口が出てきた。ここは上野原遊歩道の入口である。登って行くとお墓が出てきてここからの展望は抜群で富士山も見えた。道標に従い歩いていく。道は墓場の縁を通っていくようになり、そして墓場を離れて登って行く。ほんの少しの登りで休憩舎(東屋)が見えてきた。ここで少し休憩して稜線を歩いていく。尾根の方に行くと「上野原小学校トレイルランニングコース」と書いてあったのでそこを下る。あまり歩かれていないと見えて落ち葉が積もっている。かまわず下って行くと木の鳥居がありここをくぐる。見晴が良くなり畑地に出た。民家の前を通っていくと大きな忠魂碑が出てくる。近くには古い小さな神社があり御嶽神社と書いてある。神社の周囲は囲われていて中に入ることは出来ない。ここからは大きな寺が俯瞰でき、左手には広い墓地が続いている。ここは保福寺という大きな寺のようだ。

保福寺は中里介山の小説「大菩薩峠」に登場する月見寺のモデルとなったお寺です。
保福寺は、中世戦国期に上野原を治めた加藤丹後守が創建したと伝えられています。山門と鐘楼は、江戸末期の典型的な寺院建築で、慶応元年(1865)に信州出身の大工棟梁により再建されました。
山門は唐門形式の四脚門で、組物や妻飾、装飾的な彫刻は意匠的・技術的に優れ、江戸建築の豪華さが表現されています。鐘楼は市内では珍しい袴腰型で、軒反の強い伸びやかで整った姿や、三手先組物や腰組などの華やかな造りが特徴です。(上野原市教育委員会上野原市の文化財より)

     

ため池百選に選ばれた月見が池(上野原小学校前)

御嶽神社を過ぎ更に小学校に向けて下って行くと小学校のグランドがありました。連れがその通用門を出てきた男の人に大ケヤキの場所を聞いています。歩いていくと左手に緑色の水を湛えた池が出てきました。こんなところに池がと思うほどに大きな池です。日本のため池百選にも選ばれた月見が池のようです。

ため池とは、降水量が少なく、流域の大きな河川に恵まれない地域などで、農業用水を確保するために水を貯え取水ができるよう、人工的に造成された池のことです。
ため池は、新田開発や用水不足解消を目的に、古代から近代にわたる長い歴史の中で築造され、現代に至っても貴重な水源として農業の礎(いしずえ)の役割を果たしています。
ため池百選とは:農業者の減少、高齢化の中で管理が難しくなりつつあるため池について、その歴史や多様な役割、保全の必要性を国民の皆様に理解いただく契機とするため、農業用の水源として秀でた特徴を有する全国のため池100地区を「ため池百選」として選定したものです。
桜の美しいため池(平成23年3月7日):「ため池百選」に選定されたため池のうち、特に、ため池と一体となって桜が美しいため池の紹介です。参考:農林水産省HPより 
発見うえのはら 月見が池

上野原小学校グランド内の大ケヤキ

月見が池の前に小学校の前庭(グランド)があります。そしてそのグランドの左手の方に太い大きな木があります。これが上野原の大ケヤキのようです。どうやらグランドを通らないとそのそばにはいくことができないようです。先ほど先生のような人から「入ってもいいですよ」と言われているようなので、スライド門扉を引いて中に入ります。グランドを100mほど横切ったところに大ケヤキはありました。前半分は朽ち果てて空洞があります。裏側に回ってみるとこちらは普通の状態でした(写真)。空を覆う大きな枝の葉はことごとく枯れていてこの木はもうダメなのではないかと思いました。しかし周りの木も似たような状態なのできっとこれは冬枯れなのでしょう。

上野原の大ケヤキ 所在地:上野原市上野原3454
上野原小学校前庭にあり、推定樹齢800年以上、高さ28m、目通り8.64m、根回り10.21mで主幹は地上4.5mのところで失くなっている。1944(昭和19)年 上野原小学校の大ケヤキ、国定天然記念物指定


上野原小学校の直ぐ上に先ほどの御嶽神社という小さな神社がありました。上野原の大ケヤキの周辺はこの御嶽神社の境内であったようです。明治の初めに小学校が開設されるにあたって神社は上部に移転しました。そして御嶽神社の境内であった敷地に小学校が建築されました。しかしこの敷地は傾斜地であり平坦地にするため大ケヤキの周辺は土を盛られてしまったのです。その結果大ケヤキの根本は3m~5m程度埋まったような状態になりました。現在、大ケヤキの周囲は囲われて近づけないようになっています。幹の半分は朽ち果てており大きな空洞ができています(写真の反対側)。葉は全て枯れたような状態であったが、春になれば再び新緑に覆われることでしょう。この大ケヤキの推定樹齢は800年とも850年とも言われています。日本の歴史の中では平安時代の終わりから鎌倉時代の初期に相当します。
大ケヤキは上野原小学校のグランド内にあるので直接そばに行くことは出来ません。グランドの道路側にスライド門扉の通用門がありそこにインターホンがあります。

大ケヤキを見て最後の目的地である支那そば屋に向う。目的地はヤフー地図を印刷し印をつけておいた。しかし現地に近づいても見当たらない。スマホで確認してみると1本道を間違えていた。ようやくオレンジ色の「支那そば」の看板が出てくる。がらんとしたカウンターだけの店内には男性客が一人いて、主人と奥さんが迎えてくれた。早速ワンタンメンを2つ注文する。カウンターの所には無断撮影禁止と書かれている。10数分ほどで出てきたワンタンメンはどんぶりになみなみとスープが満たされている。両手で下ろそうとするが熱くて持てない。連れはカウンターに置いてあるふきんを使って下ろしていた。手こずっていると、主人が「下ろしましょうか」といってカウンターから下ろしてくれた。スープは濃い色の醤油味、麺はぴらぴらした平打麺。そしてワンタンは肉餃子の具のようなのがワンタンの皮に包まれている。チャーシューは大きめでやや固め。自分が想像したイメージとはだいぶかけ離れていた。あとで聞くと連れは「ワンタンはニンニクが効いておいしかった」という。自分はワンタンは余計だったと思う。しかし前から一度は来たいと思っていたのでこれで気が済んだ。帰りは見晴のいい中央高速脇の道を歩き、20分ほどで駅に到着した。

向風~能岳~八重山~秋葉山~上野原小学校~上野原駅のコース断面図

コースタイム 歩行3時間40分 距離10.2km 累積の登り625m 下り-718m
上野原駅(バス)~向風(むかぜ)9:00→10:18能岳10:25→八重山(休憩所:東屋)→11:00八重山展望台11:25→12:00上野原中学校前駐車場12:15→12:20秋葉山・根本山登り口→12:32秋葉山12:45→13:08上野原の大ケヤキ13:20→13:40支那そば屋14:10→14:30上野原駅

過去の八重山の記録
平成26年4月24日 中央線・藤野鷹取山~八重山~能岳(543m)


バナースペース

https://www.ov2.yamaaruki.biz/
スマートフォン対応